学長挨拶

学長挨拶

沖縄大学は、2018年度に創立60周年を迎えた沖縄で一番歴史のある私立大学です。

私立大学には、必ず始原にさかのぼる物語があります。あるとき、ある場所で、「ここに大学を創らなければならない」と強く思った人がいるからこそ、そこに大学が存在しているのです。これは沖縄大学も例外ではありません。

沖縄大学の創立は米軍統治下の1958年のことです。当時、沖縄には米国の軍政府令によって設立された琉球大学があったのみです。沖縄大学を創設したのは、嘉数昇先生です。先米軍統治下にあり、「本土」への渡航もままならない中、尚学の志に燃える生年たちに学問の場を提供したいという先生の強い思いを以て、沖縄大学は創立されました。

少し、嘉数先生の紹介をしましょう。

先生は大学のある国場生まれで、家が農家であったため、「百姓に学問はいらない」という父親のもと、上級学級への進学の夢を叶えることができませんでした。しかし、若い時代から県会議員を務め、戦後は企業家として成功しました。そして若い世代に自分のような苦難の道を歩ませたくないと、1958年沖縄短期大学、その3年後には4年生の沖縄大学を設立します。

先に書いたように、創立の物語は、どの私学にもあることなのですが、創立後、沖縄大学は希有な、それこそ全国のどの私学にもない特有のできごとに遭遇します。

1972年、いわゆる沖縄の日本復帰の際、沖縄大学は大きな困難にぶつかります。米軍の統治下にある際に施行されていた諸制度は、復帰の際、日本における諸制度との適合をもとめられました。琉球大学の場合は、国立大学として整備されていくことになったのですが、沖縄に当時設立されていた私学である沖縄大学と国際大学は、ともに日本の私立大学の設置基準には適合しないと判定され、文部省(当時)の指導の元、二つの私学の統合が進められることになりました。

しかし、沖縄大学は、沖縄大学のまま存続するという決断をしました。

私学には、始原の物語の中に、その私学独自のミッションを含んでいることを大事にしたいと考えたからです。

文部省の方針に反することとなった沖縄大学には、苦しい存続闘争が待っていました。

その過程で多くの人々の支援がありました。沖縄県知事も政府に対して「沖大存続要請」を行いました。県民も20万人署名運動を行い、また「沖大存続を求める県民総決起大会」も開催されました。集会の後にはデモ行進も行われています。

一私学の存続に多くの人々が関心を寄せ、支援をしたのはなぜでしょう。

当時、沖縄大学の18名の教員が、新聞紙上で「沖縄大学存続の趣旨」と題する広告をだしています。そこには次のようにあります。

「種々の形で本土への系列化並びに再編成が強引に行われている。一切が強大な力に組み込まれている中で、せめて私立大学だけでも踏みとどまるところが無くてはならない」

私たちの先輩にあたる教員たちは、困難を覚悟し、それを乗り越え自主独立の道を選ぶ決意をしたのです。その姿勢に県民は共感し、やがて沖縄大学支援の輪は「本土」にも広がっていくことになります。

最終的に、この活動は実を結び、文部省の理解を得て、沖縄大学はあらためて大学として認可するという手続きがとられ、こうして今に至っています。

沖縄大学は始原に立ち戻れば、嘉数先生によって産み出され、その歩みの中で厳しい存続闘争を県民の支援を得て生き延びたという特有の物語を有しています。先ほど、沖縄大学の有する物語が希有であると書いたのは、このように一私学のために、地域住民が集会をし、デモまでおこなってくれたという歴史があるからです。今、沖縄大学に在籍している私たちは、このことを心に刻み、あらためて感謝したいと思います。

物語は今も続いています。ここまで読んでくださったこの文章も、私が前学長である仲地博先生から受け継いだものを私なりに改編したものです。そして、私たちはこの物語を次代にも引き継ぎたいと思っています。

沖縄大学の理念は「地域共創、未来共創の大学へ」です。今、そしてこれから、この大学の物語をつむぐのは、大学の教職員のみならず、学生のみなさん、卒業生のみなさん、今はまだ入学していないけれど将来ひょっとしたら入学をしてくださるみなさん、そして地域のみなさんも一緒です。

沖縄大学は小さな大学です。世界の最先端を研究する大学ではありません。沖縄にあり、沖縄のことも学びながら、やがて社会に飛び出していく学生一人一人の成長を支援するための大学です。

「学生を第一に、教育に立つ」大学として、みなさんとともに力を合わせて、沖縄大学にしかない物語りをつむぎつづけていきたいと考えています。

学長の写真

プロフィール

所属 人文学部 こども文化学科
専攻 理科教育
学位(発行機関) 理学士(千葉大学)

研究活動

もともと私は中学・高校で理科の教員をしていました。と同時に、一般向けの自然科学書を書くという仕事もしていました。2000年に沖縄に移住して、今度はフリースクールの講師や大学の非常勤を勤めながら本を書くという生活をしていたのですが、2007年にこども文化学科が立ち上がった際に、理科教育の教員として赴任することになりました。新聞に虫についての子供向けの記事を書くことが多いためか、私が虫の専門家だと思っている方もときどきいるのですが、私は、もともと大学時代、植物生態学を専攻していました(平たく言うと、森の研究です)。ただし、その後の教員生活で、植物に限らず、虫も含めて、どのような教材(特に生物教材)を扱うと、授業が生き生きとなるのだろうかということが、主な関心事となり現在に至っています。また、授業づくりをきっかけとし、人と自然との関係性についても知りたくなり、それが一つの大きな動機となって、沖縄に移住することになりました。大学に籍を移してからは、琉球列島の里山環境において、どのような自然利用がなされていたのかを、主に植物利用の聞き書きから掘り起こすという研究を始めています。

教育活動

上にも書きましたが、理科教育を専門とし、関連した授業を担当しています。生物だけでなく、初等理科教育法と言う授業では、簡単な化学実験についても扱っています。また、本学は街中にあるのですが、できる限りフィールドにも出たいと思い、ゼミ活動などを利用して、学生とともに野外活動も行っています。ゼミでは、2011年以来、石垣島白保のしらほサンゴ村やNPO夏花と共同で、地元の子供たちの自然教育のプログラムの開発や、実践に関わっています(ゼミ合宿も白保で行っています)。また、ときどき小学校に特別授業に出かける機会や、沖縄こどもの国でのイベントなどにもゼミ生とでかけています。

所属学会

日本生態学会、漂着物学会、蘚苔類学会、日本菌学会など

学外活動

沖縄タイムスワラビーで子供向けの自然観察の記事を連載中です。あちこちの博物館等で講演をさせてもらったりしていますが、ここ数年、国立科学博物館での大学生向けの自然講座も、1コマ、担当させてもらったりしています。

著作・論文

  • 『琉球列島の里山誌』(2019年 東京大学出版会)
  • 『めんそーれ!化学』(2018年 岩波ジュニア新書)
  • 『生きものとつながる石ころ探検』(2018年 少年写真新聞社)
  • 『奄美群島の野生植物と栽培植物』(2018年 共著 南方新社)
  • 『となりの地衣類』(2017年 八坂書房)
  • 『身近な自然の観察図鑑』(2017年 ちくま新書)
  • 『ゲッチョ先生の昆虫と自然の描き方教室』(2017年 ナツメ社)
  • 『やんばる学入門』(2017年 共著 木魂社)
  • 『くらべた・しらべた ひみつのゴキブリ図鑑』(2016年 岩崎書店)
  • 『シークヮーサーの知恵 奥・やんばるの「コトバ・暮らし・生き物環」』(2016年 共著 京都大学学術出版会)
  • 『自然を楽しむ 見る・描く・伝える』(2016年 東京大学出版会)
  • 『テントウムシの島めぐり』(2015年 地人書館)
  • 『植物の描き方』(2015年 東京大学出版会)
  • 『雑草が面白い』(2015年 新樹舎
  • 『ソテツをみなおす 奄美・沖縄の蘇鉄文化誌』(2015年 共著 ボーダーインク)
  • 『昆虫の描き方』(2014年 東京大学出版会)
  • 『食べて始まる食卓のホネ探検』(2014年 少年写真新聞社)
  • 『雨の日は森へ』(2013年 八坂書房)
  • 『食べられたがる果物のヒミツ』(2013年 少年写真新聞社)
  • 『生き物の「描き方 自然観察の技法』(2012年 東京大学出版会)
  • 『イモムシ探検記』(2012年 木魂社)
  • 『シダの扉』(2012年 八坂書房)
  • 『見てびっくり野菜の植物学』(2012年 少年写真新聞社)
  • 『おしゃべりな貝 拾って学ぶ海辺の環境史』(2011年 八坂書房)
  • 『奄美沖縄環境史資料集成』(2011年 共著 南方新社)
  • 『聞き書き・島の生活誌』シリーズ(2009~2011全7冊 共著 ボーダーインク)
  • 『ドングリの謎』(2011年 ちくま文庫)
  • 『ぼくらが死体を拾うわけ』(2011年・ちくま文庫) など